タイムトラベルの倫理
もしタイムトラベルが可能ならばどういった倫理的な問題が起こりうるか…まず想起するのは過去の改変でしょうか。海外では古くにPaul Anderson, Guardians of Time, 1960*1が、日本でもドラえもんから榎本ナリコ『時間の歩き方』まで、時空警察やタイムパトロールなどと呼ばれる過去の改変を取り締まる組織は古今東西の様々な作品で描かれています。
倉薗紀彦『魔法行商人ロマ』3巻所収「メルーダの砂時計」や細田守監督アニメ映画『時をかける少女』などでも、自身の事情で過去を改変してしまったことで本来は受けない不利益を被ってしまう人がでてきてしまうことが描かれました。このように、タイムパトロールなどの過去の改変を取り締まる組織や法が描かれていなくても、基本的に過去の改変は良くないこととして描かれるようです。
しかし、えすのサカエ『未来日記』13巻では過去に行った人が、現代(その過去から見ての未来である)では病気に苦しむ子供の親に早めに診療を受ければ治るかもしれないと伝え、その子供は早期に治療を受けて病気を克服します*2。『魔法行商人ロマ』や『時をかける少女』でも一度改変した過去をもう一度不利益をこうむった人のために改変(元に戻そうと)するように、元に戻したり利他的で他に不利益がこうむらないようないいことだったりする改変の場合は、倫理的に描かれることがあるようです。
未来日記 (12) (角川コミックス・エース 129-19)
- 作者: えすの サカエ
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/04/26
- メディア: コミック
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反対に、このままでは確定してしまう未来の改変はどうでしょうか。 これは当然といいますか…未来をよきものにしようという行動が道義に反しているというように描かれることは少ないようです。ただ、ビデオゲーム『クロノクロス』では改変された未来の悲痛な声、という興味深い描写が見られます。ビデオゲーム『クロノトリガー』はタイムトラベルを駆使して荒廃した未来を明るい世界に変えました。しかし、続編である『クロノクロス』では、その改変されてなかったことにされた荒廃した未来が、その明るく改変された世界へ報復しに来るのです。「あったかもしれない幸福」に同情的な描写はありつつも、可能世界になった荒廃した世界は打倒されます。ある幸福を掴んだがために、ほかの幸福は棄却されることが非難される…斉藤環氏の「まどか☆エチカ、あるいはキャラの倫理」*3末尾で、ループしつづけた世界によって概念になったまどかはその存在を忘れさられなければならないと指摘した上で「そう、倫理が必ず代償を伴うという真理は、現実以上に虚構において厳密に要請されるのだから」と述べたように…そこまで高い善性を要求するのはあんまりだと言えないでしょうか。
以上で書いたタイムトラベルの倫理的問題は、『文理シナジー』誌に掲載された拙著「『魔法少女まどか☆マギカ』における希望についてタイムトラベルの倫理と時間的展望からの考察」が元になっています。論文では取り上げなかった作品もこの記事では取り上げたり、逆に論文ではループものにも触れていたり(そもそもまどマギ論ですが)します。オンラインでの公開は出来ませんが、以下にCiNiiページのリンクを貼っておきますので、ご笑覧頂ければ幸甚で御座います。
CiNii 論文 - 『魔法少女まどか☆マギカ』における希望についてタイムトラベルの倫理と時間的展望からの考察